福知山城(京都府福知山市)

京都府福知山市にある福知山城を訪れました。
福知山城といえば、やはり明智光秀。
織田信長の命を受けて丹波攻略を進めた光秀が、天正7年(1579)頃に横山城を改修して築いた城です。
現在の天守閣は1986年に復元されたものですが、その周囲には光秀の時代にまで遡る石垣が残されています。
しかも石垣をよく見ると、墓石や石塔などを再利用した「転用石」が大量に混ざっている。
さらに本丸には、日本の城郭でも屈指の深さを誇る井戸。
天守閣へ入れば、光秀による福知山の治水や城下町整備についても知ることができます。
復元天守だけを見て帰るには、もったいない城です。
今回は実際に福知山城を歩きながら、アクセス・駐車場とともに、個人的に面白かった見どころを紹介します。
【今回の記事の概要】
・京都府福知山市の福知山城を実際に散策
・福知山城のアクセスと無料駐車場を紹介
・明智光秀が築いた城と現在の復元天守
・500以上あるとされる特徴的な「転用石」
・本丸に残る深さ約50mの「豊磐の井」や歴代城主を紹介
福知山城のアクセス・駐車場

車で福知山城を訪れる場合は、福知山城公園観光駐車場を利用できます。
福知山市公式でも福知山城天守閣の来館者向け駐車場として案内されており、駐車料金は無料です。
私はシルバーウィークに訪れましたが、ほぼ満車だったので繁忙期は注意が必要。
駐車場から福知山城はすぐ近く。
車での城巡りでは駐車場探しに苦労することもありますが、ここはかなり訪れやすい城でした。
鉄道の場合はJR・京都丹後鉄道「福知山駅」が最寄り駅です。
駅から城までは市街地を歩いて向かうことができるため、福知山の城下町とあわせて散策するのも面白いと思います。
福知山城の見どころ|まずは本丸へ

それでは福知山城を歩いていきます。
福知山城は市街地南側の丘陵上に築かれた城。
明治時代の廃城によって建物の多くが失われ、天守台周辺の石垣などが残されました。
現在の天守閣が再建されたのは1986年(昭和61年)です。
2026年は、ちょうど天守閣再建40周年。
福知山市民による「瓦一枚運動」など、多くの寄付によって復元された天守でもあります。
福知山城の天守閣は1986年に復元

現在の福知山城天守閣は、江戸時代の絵図や天守平面図などを参考に復元されたものです。
明治時代に一度失われた天守が、市民の力によって約100年後に戻ってきた。
そう考えると、単なる「復元天守」として見るだけでは少しもったいないですね。
内部は郷土資料館となっており、明智光秀や歴代城主、福知山の歴史に関する資料を見ることができます。
【2026年現在】
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
入館料:大人360円・小中学生110円
休館:年末年始および臨時休館日あり
福知山城最大の見どころ?500以上の「転用石」

個人的に福知山城でかなり面白かったのが転用石です。
福知山城の石垣には、もともと寺社などで使用されていた石塔や墓石などが石材として大量に使われています。
その数は500以上。
説明だけ読むと「石を再利用したんだな」で終わってしまうのですが、実際の石垣を見ると――

本当にある。
普通の石に混ざって、明らかに形の違う石材が使われています。
こういうものは説明板だけではなく、現物を探すのが楽しい。
「これは元々何に使われていた石なんだろう」
なんて考えながら石垣を見始めると、なかなか先へ進めません。
転用石といえば大和郡山城にも

そして「転用石」と聞いて思い出したのが、奈良県の大和郡山城。
大和郡山城の天守台にも、石仏などが石垣の石材として使われています。
一つの城だけ見ていると「福知山城には転用石がある」で終わります。
でも複数の城を巡っていると、
「あれ、これ前にも見たぞ」
となる。
同じような築城技術や時代背景を、離れた土地で再び見つける。
こうやって城同士が頭の中でつながっていくのが楽しいんですよね。

本丸にある「豊磐の井」|深さ約50m

本丸には「豊磐(とよいわ)の井」という井戸があります。
これがまた凄い。
深さ約50m。
福知山市によれば、城郭の本丸内にある湛水井としては日本一の深さです。
しかも現在も水をたたえています。
籠城を考えれば、水の確保は城にとって死活問題。
しかし50m。
数字を聞くだけでも、とんでもない深さです。
実際に見てみると、深すぎて底が見えませんでした。恐怖すら感じてしまった。
天守だけではなく、こうした城を維持するための設備を見るのも面白い。
明智光秀は福知山の治水にも関わった?

福知山城の展示でもう一つ興味深かったのが治水です。
福知山の市街地を流れる由良川。
現在「明智藪」と呼ばれる場所には、光秀が水害対策に関わったという伝承があります。

天守閣から城下を眺めると、福知山と由良川の位置関係もよく分かります。
城を造る。
城下町を整える。
そして水害の多い土地では、川とどう付き合うかを考える。
戦国武将というと「戦う人」というイメージが先に来ますが、領国を治める側になれば、町づくりも重要な仕事になります。

治水と聞いて、個人的に思い出したのが武田信玄の「信玄堤」です。
山梨県を旅した際に実際に訪れました。
戦国武将を追いかけていると、どうしても合戦や城に目が行きます。
でも、その土地を実際に歩くと、治水や城下町整備など、領主としての仕事も見えてくる。
「戦国武将=戦」の外側を見ると、歴史がまた面白くなります。

福知山城の歴代城主|明智光秀だけではない

福知山城といえば明智光秀の印象が圧倒的ですが、もちろん城の歴史は光秀だけではありません。
光秀の時代以降も城主は変わり、江戸時代には複数の大名家が福知山を治めました。
その歴代城主を見ていて、個人的に目に留まった人物がいました。
有馬豊氏。

この名前、以前の城巡りでも見ています。
有馬豊氏は福知山へ入る以前、遠江国横須賀を領していました。
京都府福知山市まで来て、静岡県で見た歴史と再びつながる。
こういう瞬間がたまりません。
大名は転封によって各地を移動します。
そのため全国の城を巡っていると、一見まったく関係なさそうな土地同士が、同じ人物や大名家によってつながることがあります。
城を巡れば巡るほど、日本地図の上に歴史の線が増えていく。
これだから城巡りはやめられません。

まとめ|福知山城は石垣まで見てほしい

今回は京都府福知山市の福知山城を訪れました。
明智光秀ゆかりの城というだけでも歴史好きには面白い場所ですが、実際に歩いて特に印象に残ったのは、転用石と豊磐の井でした。
現在の天守閣は1986年の復元。
しかし、その足元には光秀の時代にまで遡る石垣が残っています。
しかも、そこには500以上もの転用石。
さらに本丸には深さ約50mの井戸。
天守だけ撮影して帰ってしまうのは、かなりもったいない。
石垣をじっくり見て、転用石を探し、天守閣で光秀や歴代城主について知る。
そうすると福知山城が、単なる「明智光秀の城」だけではなくなってきます。
そして私の場合は、大和郡山城の転用石、武田信玄の治水、有馬豊氏と静岡県までつながっていきました。
一つの城を訪れたはずなのに、過去に訪れた場所が次々とつながってくる。
今回もまた、城巡りの面白さを実感する旅になりました。
今回はここまで。ありがとうございました。
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